たくさんの仏様

お経を紐解きますと実に多くの仏さまがいらっしゃることに驚かされます。お釈迦様のことである釈迦牟尼仏はもちろんのこと、もっと遠い過去の時代に仏になられた薬師如来、大日如来、多宝如来とまだ多くの如来、つまり仏様がお経の中には名を連ねております。このことは私たちにとって大変はげみになることです。そこからすべての人を仏にしたいという仏様の大慈悲のお気持ちをくみ取ることができるからです。このことは山を登るということと似ています。前人未踏の山があれば登山家ならば登ろうと思うかもしれませんが、山登りの経験のないものならば「サア」とか「イザ」という気にもなれません。誰かが無事に帰ってこれた山でなければ遠慮しますということになります。ところが一人ないし多くの人が上った山だとなれば素人登山者にとっても別の話で「あの山はどうもいい山らしい」となる。たくさんの人が頂を見に行っているのだからきっとそこに行くとこちらの為になるものがあるはずだ!と何となしに決心のこころが湧いてくるものです。能動的な行動と申しますのは、苦労はしても報われるに違いないと思えた時に起こるものです。もっと言いますれば「とある目的のために骨を折りましょう」という信心を起こした時にはもうその人はその目的をやり切ったに等しいのであります。ですから多くの人が仏様の教え関心を起こし信心を発することは非常に大事なことです。つまり「発菩提心」(「発」は発する、起こすということ。「菩提心」は私自身が仏と等しいものになろうと願うこと)がまず我々が目指さなければならない一つのめ山であるのです。法華経にこのような句あります。「如是畜生 発菩提心」・・かくのごとき畜生(人間以外の生類すべて。猫や牛や馬など)も菩提心を起こす・・とあります。人間以外の生き物を決して見下すというわけではありませんが、やはり生命の代表選手である人間として他の動物たちには負けてはいられないぞ!とこの経文を拝読いたしますと私なんかは大変に奮い立ってくるものがあります。

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