法華寺紹介を兼ねたお寺に関わるちょっとした話(2)

さて、改めて紹介いたしますが当寺院は正式には山号寺号を組み合わせて瑞光山(山号)法華寺(寺号)となります。山号にも寺号にも当然に意味がありますが、特に寺号について申します。先に触れましたように「法華寺」という寺号は日蓮宗寺院の中で二番目に多く一番多いのは「妙法寺」なのでありますが、そうなると何故に法華寺や妙法寺は多いのと思われる方もあると思います。妙法とは「妙法蓮華経」という大乗のお経のことであります。ところでお経には大乗経と小乗経とがあり乗とは教えのことです。そして大きい小さいは何を指しているかと言えばそのお経を聞くことで救われる人の数の大きさです。小乗もお釈迦様の教えという意味では尊い教えには変わりないのですが、目をつけるべきところは小乗のお経では救われないものも現れてしまうというところです。例えば東京から北海道に行きたいと望むとき一人乗りのバイクでも行かれるでしょうけど二輪免許という専門技能がない人はバイクがあっても行けないでしょう。海峡を渡る船の力も借りなくてはならないでしょう。小さい乗り物に乗って旅をしますと疲れますし限られた人物しか乗ることができないのと同様に教えという乗り物においても小さければその教えに乗ることができなかった人や疲れてやめてしまう人も現れるのです。一方バスや飛行機などの公共の大きな乗り物があるから特殊な運転技術がない大勢の人を短い時間でしかもいっぺんに心地よく遠くへ連れていかれるように大乗の教というものは、一握りの知識人を対象にされた教えではなくすべての人をを漏らさず救うという仏様の一大決心、つまり大慈悲心によって敢えて作られた教えなのであります。そう考えただけでもたとえ大乗の教えの内容を知らなくてももうありがたく私には感じてしまうのですが、とにかく教えという乗り物においては高級車や自家用ジェットよりのように一部の人しかいただけないものよりも貧富や能力の区別なく大勢のひとを運んでくれる教えのほうがより高級なのです。仏様のお悟りという遠い心の境へ旅するためには一握りの専門性をもった学者しかなれないなどとお釈迦様はそんなことは言われておりません。誰でも仏と同じようなものにするためにいわゆる仏様はこの世にお現れになったのですから・・。話をもどしますと、以上のような大乗の精神が一番大きく現れているのが「妙法蓮華経」というお経であるとして信仰の礎にする教団が我々日蓮宗ですから、おのずとお経の顔ともいうべき題名から寺号をいただく寺院も多くなるのです。中には「妙法華寺」という寺院もあります。私の体験としましては、同名寺院の多い寺に所属しておりますと「法華寺です」と自己紹介しましても必ず「どこの?」と聞かれますのでもういっそのこと町名の「浜中です」と言うことにしております。名前なのですから便宜上あまりほかの名前と被らなければ良いに越したことは無いのですけれども、しかしその便宜を敢えて捨てて法華寺と寺号を決めた当寺院の(開山)久保田日亀上人、(開基)松井日祥上人、(第3世・実質的な開山開基)小山智信上人らの法華寺草創期の先師の法華経弘通の熱意、また当時から今に連なる法華寺檀信徒の法華魂に心よりの敬服の念を忘れてはならないと、そのように思うのであります。(余談ですが、その法華魂を色濃く持つウニの養殖業を営む吉野様に今日はウニをいただきました。本当に申し訳なくまたありがたく頂戴いたします。またいつも昆布などの海産物や野菜や牛乳などを厚意で持ってきてくださる皆様に改めて御礼申し上げます。合掌)

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