お経は法でありますから、法とはお釈迦様の教えのことになります。ですがお釈迦様は何も自分の解釈で人や世間の成り立ちやあり方を法として説かれ残されたのではありません。お釈迦様の法は何万年、何億年昔であっても逆に何万年、何億年後であってもいやしくも命として存在するものであれば守るべき、信じるべき規律であり法則なのであります。お釈迦様は自分の教えについていまだかつて無かったものを生み出したものではなく、古くからあったものを今見出したにすぎないのであるということを伝えようとされこのような比喩を修行者に語られました。『比丘(修行者)たちよ。たとえばここに人ありて林の中をさまよい、ふと古人のたどった古い道を発見したとするがよい。またその人はその道に従い進み行いて古人の住んだ古い城、園林があり岸も麗しい蓮池のある古城を発見したとするがよい。比丘たちよ、その時その人は王または大臣に言うであろう。≪私は林の中をさまよってふと古人のたどった道を発見した。その道を進み行くと古人の住んだ古城がある。園林があり岸もうるわしい蓮池もある古城である。願わくばかしこに城邑(まち)を築かせたまえ≫比丘たちよ、そこで王または大臣たちはそこに城邑(まち)を築かせたところ、その城邑は栄え人あまた集まり殷盛を極めるに至った。比丘たちよ、それと同じく私は過去の正覚者(仏のこと)たちのたどった古道、古径を発見したのである。』と。

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